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髙木真介の新スペイン便り
3. 新春特別企画・エッセイ 「右足から」アランフェス協奏曲 / 後編(2006.2.9)

 皆様お元気ですか? お約束どおり前回に続いて、新春特別企画のエッセイの後編をお届けいたします。

「右足から」~アランフェス協奏曲~ 〔後編〕

 会場のすぐそばに取ったホテルにいったん引き上げ、シャワーを浴びた。もうすぐ本番だと思うと気持ちが高ぶってきたが、やはり不安もあった。とにかく集中して、できるだけのことをしよう、と自分に言い聞かせた。どういうわけか、このコンサートはアランフェス協奏曲がメインで、プログラム最後の曲だ。お客さんたちに配られるプログラムの表紙には、ロドリーゴの写真が大きく載っていた。そんなわけで楽屋入りし、コンサートが始まってから、僕の出番までかなり長い時間待つ羽目になった。第一部のモーツァルトが終わり、休憩時間になった。クリスティアンが楽屋に顔を出し、「なかなかいい感じだよ。ホールの響きもいいし、客席もほとんどいっぱいになっている」と、かなり機嫌がいい。「ああ、それからアランフェスのテンポだけど、君に合わせるから好きなように弾いてね」と付け足した。この一言で少し不安がなくなった。

 休憩時間が終わり、第二部が始まった。ホアキン・トゥリーナの「闘牛士の祈り」だ。楽屋のモニタースピーカーから流れてくるこの曲を聴きながら、自分が出番を待つ闘牛士になったような気がした。500kgを超えるあの猛牛の目の前に立つ気持ちって、半端じゃないだろう。そんなこと、逆立ちしたって僕にはできっこない。一歩間違ったら、命を落とすことだってあるし・・・。出番を待ちながら、いろいろな不安が頭の中を駆け抜けていく。「失敗したらどうしよう。クリスティアンがさっきみたいに、またテンポを速めていったらどうしよう。実際、俺にはオーケストラを後ろにして、大勢の人前でソリストとして立派につとまるだけの腕前なんて、ありゃしないだろ?・・・」できることなら逃げ出したい、と本当に思った。しかし、トゥリーナの曲を聴きながら、ふと思った。「闘牛士は、本当に一歩間違ったら死ぬことだってあるけど、この僕が、もともと下手なギターをいくら間違ったからって死ぬことは絶対ないじゃないか」そう思うと、気持ちが少し楽になった。

 ステージの袖で、出番を待った。クリスティアンが僕の背中をたたきながら、「スエルテ!」と言った。スペイン語で「幸運を!」という意味だ。よしやるぞ、という気持ちで一歩踏み出した僕に、クリスティアンはあわてたように耳元でささやいた。「おい、右足からだよ!」とっさに僕は何のことか分からなかった。「ええ、何?」と、僕は聞き返した。「ステージには右足から入ると運がいいよ。いいかい、右足からだよ!」

 ところで、この「右足から」というのは、よく考えてみると、スペイン人が日常よく使う表現だ。しかも、運を招くために実行している人も、非常に多い。朝、不機嫌な顔をしていると、「何だ、どうしたの? 何かいやな目にあったのかい? 今朝、ベッドからちゃんと右足から起き出さなかったからだろう?」なんて言われたりする。それから、サッカーの試合中継をTVで観ると、試合開始直前に、選手たちがトンネルからフィールドめがけて走って入場するとき、かなりの選手が、フィールドに右足から踏み込むようにしているのがよくわかる。中には、サイド・ラインを超えるときに、右足から入ろうとして、うまくステップが合わず、無理にスキップするみたいに飛び跳ねながら入場する選手もいるくらいだ。もうひとつ。2005年、F1の世界チャンピオンになったフェルナンド・アロンソ(スペイン人初、F1史上最年少チャンピオン)も、あるインタビューで「レースの際、何か特別なおまじないとかしますか?」と聞かれ、「マシーンには必ず右足から乗るようにしています」と答えていた。

 話を演奏会に戻します。クリスティアンに言われたとおり、右足からステージに出たおかげかどうかは知らないけれど、何とか無事に演奏が終わった。田舎の人たちの反応はとても暖かい。拍手が鳴り止まない。演奏後、クリスティアンといっしょに何度もステージに挨拶に出たが、彼は「もう一回アダージョをやるしかないようだな」と言って、コンサートマスターに目配せした。アンコールで、第二楽章を再び演奏した。

 アランフェス協奏曲の第二楽章“アダージョ”の、あのメロディーは、やはり美しいと思う。ギターでコードを弾きながら、後ろから聞こえてくるイングリッシュ・ホルンの少しさびしげな音で奏でられるメロディーには、心底聞きほれてしまう。そのあとを受け継いで、ギターでソロを弾いているときは、とても幸せな気持ちになる。ギターをやっていてよかったな、と心から思う。そして、長めのカデンツァの最後のラスゲアードを思い切り掻き鳴らしきった直後、トゥッティで再び劇的にメインのメロディーが鳴り響くところは、やはりとても感動する。スペイン人にとって、あのメロディーがとても大切な宝物であり、そして、それを書いた作曲家ロドリーゴと同国に生まれたことを、彼らはとても誇りに思うようだ。これだけ聴衆に愛される音楽が、ギターのための作品であることは、ギターを愛する人間として、本当にうれしいことだと思います。〔了〕

 と言うわけで、前回と今回の「スペインだより」二回にわたってお送りしました私の拙いエッセイもこれでおしまいです。早いものでもう2月になりましたが、まだまだ春までは遠い道のりですね。風邪など引かないようくれぐれも健康にはご留意ください。それではまた(なるべく近いうちに)お目にかかりましょう。

髙木真介( Masayuki Takagi )
2006年2月5日、マドリード


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