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2.ツアーリポート(2001年7月18日)
ツアーリポート(2001年7月18日)

6月24日(日)   

 4月にスペイン出張をしたばかりだが、今回は新井三夫先生の合奏グループを中心としたグループのスペインツアーの案内役を仰せつかる事になり、再度スペインへ行くことになった。集合は成田11時だが今回は充分な余裕をとって車で8時には出発した。どうしたことかこういうときはやけに順調で何の渋滞も無くゆっくり走ったにもかかわらず9時には空港近くのいつもの有料駐車場に着いてしまう。空港で朝食に朝粥を食べていつもの様に単行本をしこたま買い込みしばらく待つうちに新井先生が到着、そう時を置かず甥のD君も顔を出し先ずは順調な滑り出しとなった。私も漸く意識が目覚めて来て、早くもグループの記念撮 影に付き合ったりで頭の切り替えが出来始める。何時もの事ながらロンドンまでの飛行時間は長いが、長い間継続しているグループのメンバーだけあって和気 藹々で楽しげに寛いでいる様子。ヒースローでの乗り換えもスムーズに済みバルセロナに無事到着、仕事の都合で早く帰るTさんは別フライトで先に着いていて ガイドのMさんと待っていた。センター街にあるバルセロナのホテルはこじんまりして良い雰囲気だが部屋に入ると電話が壊れている。空き部屋なぞ無いと見え透いた嘘と戦うのに一苦労。部屋を変えて貰うのだけで結構時間を取られた挙句、おまけにパソコンとの接続も上手くいかない。どうも明日は時差ぼけに悩まされそうな気配。

6月25日(月)   

 多少靄っているものの、スペインらしい青空。今日は半日の観光で黒い聖母像で有名なモンけラット修道院へ向かう。祭壇への入り口が10時30分に閉まるため、出発は遅れると厳しいことになりそうなのにもかかわらず、換金に手間取って20分の遅れとなる。甥のD君は朝の挨拶から人数の確認まできちっとこなして気合が入って来ている。これは良し、同室の社会看護保健士のTさんも25歳と若く彼にとってはこれもひとつの新しい出会いだ。モンセラットの奇観には皆感動したようで長旅の疲れも一辺に飛んだ様な張り切り方だ。ガイドのMさんもプロ意識の強い30歳、京都外大出身の独身女性でそつの無い要点を抑えた 説明で気持ちが良い。昼食の時にはうっかりバウチャーを忘れるハプニングがあったが、これは明日Mさんにたのむしか無いだろう。ホテルに戻って午後の自由 時間はにフレタの工房へ皆行きたいと言う事になった。ホテルのプールでひと泳ぎしてから慌てて集合をかけたロビーに駆けつける。さて、タクシーに分乗して目的地に着いてみると新井先生のグループだけが居ないので待つ事しばし、D君も周辺を駆け足で捜す。結果は工房に近いところで止めようとちょっと先まで走 らせたためで、諦めて歩き出すと何のことはない、新井先生が既に待っていた。フレタは温かく迎えてくれ、約束の砥石と生まれた赤ちゃんへのお土産を渡して記念撮影。帰りはタクシー乗り場からホテルへ4台に分乗して戻るがそこでトラブルが起きた。運転手の一人が雲助で料金の支払いで揉めている時に掴まれた手 を振りほどこうとしてうっかり財布を落としたまま車から降りてしまったと言うのだ。警察へ届を出す事を薦めホテルのロビーでも一応分っている車のナンバーの一部をタクシー協会と警察に知らせるが、問題のご本人が諦めると言うので此処までで打ち切り、被害額は4万円相当だが幸い現金以外は入って居なかったとの事だった。

2001tour2


 そんな事をしていると既に時間が足りなくなって来たので、D君を呼びフェデリコ・モンポーの未亡人カルメン・ブラボのお宅に2人で尋ねる事にして皆とは漸く分かれて行動開始、彼女のお宅まで早足で歩いて扉を開けると明るく元気な声で抱擁しながら出迎えてくれる。ギタリストの篠原氏より依頼されたCDとお 土産を渡すと大喜びでD君にさかんに年齢ややっている事を聞いて来て、オレンジジュースとチョコレートを持ってきて食べろ食べろとまるで自分の孫が来たような騒ぎ、モンポーの胸像の前で記念撮影をして別れを告げ、帰りは地下鉄で一路ホテルへ直行、夕食をしながら明日のスケ ジュール案内をして現地ギタリストのK夫人と落ち合う。夫婦二人で生活している様だが海外生活には厳しいものがあるに違いない。D君は途中で部屋に帰し、新井先生と3人でギターの話に花が 咲くが流石に疲れて辛い。1時間ほどで別れ部屋に戻ると12時近くでそのままベットにもぐりこむ。

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(モンポウ夫人カルメン・ブラボ)


6月26日(火)   

 夜中に起き出してメールを書いたせいか、少々疲れが残るが6時に再び起きてシャワーを浴びて荷造りをしてしているうちにすぐ時間が来て、朝食を摂りにレストランに降りると既に新井先生が来ている。聞くと昨夜分かれたあと部屋に入ろうとしたら既に同室のMさんが寝てしまったため、鍵を持たずに出ていた彼 は締め出されたまま。フロントで私の変更前の部屋番号を教えられたので連絡が取れず、予備のカードキーをフロントで作って貰うのにひと悶着だったとか。彼と朝食を済ませ、グラナダ用の資金換金を近くの銀行で済ませると早くも出発の時間となる。最初の目的地はグエル公園、すっかりスペイン気分に浸されてのんびりと朝の散策を楽しんで居る様子で、風が爽やかで心地よい。その後音楽博物館に向かうとカルメン・ブラボがお土産のCDを託けておいてくれた。トーレス やフレタを見てついでにカザルスが弾いていたチェロやアルベニスの使ったピアノを見て聖家族教会へ。月並みなスケジュールながらすっかり感動して、満足しているようで何より。近くのレストランでタパスをつまむ食事に皆満足な様子でカタクチイワシの酢漬けやチョリッソ、蛍烏賊のフライ等に舌鼓を打つ。その後 は何の問題も無く予定より早めに空港に到着。しかしやはり此処はスペイン。カウンターでエアチケットを出すとボーディングパスは何処だ等と訳の分らぬ科 白。それをチェクインして出すのがお前の仕事だろうと思わず口から出そうになるがここは我慢、バッゲージタッグもコンピュータがブロックされたとか言って 途中までやってまた再発行。どうも嫌な予感がしてきた。兎に角D君を「おいっこ」と言って可愛がってくれたガイドのM女史と別れてゲートイン。案の定、KLMのアムス行きと搭乗ゲートが同じで、其方の遅延のあおりを食って30分程の遅れ。混雑した待合室で待った上での搭乗となったが問題はグラナダに到着してから起こった。何とTさんの荷物が出て来ない。ポーターの居ないグラナダ空港でせっかくカートに積んだ荷物を降ろし、タッグを確認して、出迎えに来て いたガイドのBさんにロストバッゲージの申請をして貰う。ホテルに着くとTさんは早速歯ブラシ等を買いにスーパーへ直行、その間D君はフォローのアテントを卆なくこなして何時の間にかメンバーの人達から大ちゃん、大ちゃんと呼ばれている。宿泊のホテルはかなり近代的な作りで夕食はビッフェスタイル。その後 カフェテリアで一杯と新井先生に誘われて小一時間付き合うが流石に辛い。D君は残ったものの、私は先に失礼することにした。きっと彼は何時ものように朝食 は一番最後に出てくるに違いない。

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(カザルス像)


6月27日(水)   

 今日も又快晴。朝メールチェックをして朝の支度をしているともう7時となってしまった。慌てて朝食を摂りに食堂に下りる。皆朝から楽しげだが、荷物の 無いTさんだけはちょっと元気が無い。アルハンブラの観光はこの頃入場時間で制限している関係で8時半にホテルを出発。ガイドのBさんの講談調の熱の入っ た解説で一気に800年の栄華を誇ったイスラムの世界に誘われて皆感動もひとしおの様子で、みやげ物屋に着くともう12時を廻っている。そこで昔から友人 の運転手のパコに声をかけられてビックリ。何でも丁度アンダルシアにくるツアーがあったので、それを利用して此方に来てスケジュールをあけ、我々のアテン トにあたってくれるいう。ありがたい。彼が居ると百人力だ。
 それから中華の昼食という事でBさんに追加の仕事を依頼。ところが目的のレストランが工事中で閉鎖。気になるがこの辺でグループと分かれなければ自分の 用が済みそうも無い。後は任せてラジャの工房に向かう途中でカーノの愛弟子であった吉川二郎氏と奥様にばったり。流石に大病の後とあってげっそりやつれていたがそれでもこれからドイツでコンサートをするという。時間が無いので立ち話だけで失礼するがその頑張りには頑張りには敬服してギター工房へ。ライトギターケースを頼まれてたり、接着剤を頼まれたりで2軒程回ってベルンド・マルティンの工房へ。
 誘われるまま、昼食を御馳走になる事になって彼の家に伺う。息子は何時の間にか彼と同じくらい背が高い大男になっていてビックリする。奥様の手料理のカ レーを御馳走になってホテルに引き返すとD君と新井先生がいる。聞くと昼食は2件目も工事中で閉店で更に歩いて3軒目の中華レストランで漸く食事で、ちょっとした市内観光が出来たものの皆ちょっ疲れ気味だったとか。そうこうしているうちに足りない物を買いに行っていたTさんが帰って来て、連絡をもう一 度入れてみると空港に無事届いているという知らせがあってやれやれ。そうこうしているうちにホセ・マヌエルのコンサートの時間となり、結局部屋に上る暇もなくカーノ邸へ向かう。久しぶりに会う未亡人のエミリアはちょっと元気の無い様子で少し心配。さっそく彼の熱演が始まりMさんは感動のあまり着てきるシャ ツの後ろにサインを要求、別れを惜しむ間もなくレストランへ。トゥーナの学生演奏が入り、盛りあがったところで、食事の後はそのままホテルに帰らずサクラ モンテの洞窟のフラメンコへ。その後サンニコラス展望台からの夜景を楽しんでホテルに戻るともう12時近い。グラナダの一日は長い。

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6月28日(木)   

 兎に角スペインは毎日、晴れ!今日も良い天気だ。流石に疲れがたまっているのか、目が覚めたら6時半を廻っている。なにせトランクを部屋から出すのが 7時、出発が8時なので大慌てで荷物を整理して、朝食を諦めて朝の身支度と貴重品手荷物の整理をしているとわざわざD君が呼びに来てくれた。バスは予定通 りパコがアテントとなり一安心、グラナダの地を離れて一路リナレスに向かう高速道路は快適で、約束の10時のポベダ氏との待ち合わせまでには時間的余裕が ある。パコに高速を降りてもらい、写真撮影が出来るヒマワリ畑を探すことしばし、丁度最適な場所が見つかり皆はしゃいで記念撮影。空の蒼さに黄色い大輪が 這え、近くには騾馬がのんびりと寛いでいる。

2001tour5

 リナレスには少々遅れて到着。時計台から時報代わりに鳴るセゴビアの光りの無い練習曲のメロディーは聴けなかった。市役所の中でポベダ氏が待っているだ ろうと思い、皆で市役所の中へ入って休憩するが、彼は見当たらない。結局博物館で待っているとの事で、そこから徒歩で向かうと、御高齢にもかかわらず道に 出て待って下さっていた。博物館は漸く一般公開が行われる様になっていたが、まだまだ資料等の整理は終わっていない。しかし漸く此処まで漕ぎ付けただけで も大成果だ。地元の地方紙のカメラマンが来ていて撮影、我々の訪問が新聞に報道されるとの事で未だ日本からの団体もそう多くは無いのだろう。最後はセゴビアの演奏を少し聴いて往時を偲び、記念撮影をして別れを告げる。

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  (セゴヴィア博物館パティオ)

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イデアル紙 (6月2日掲載)  

 昼食はリナレスより30分程走ったバイレンのレストランで昼食。 そこへエージェンシーからパコの携帯に電話が入って、マドリのテレビ局が日本人観光客の様子を取材したいと言うのでうちのグループを選んだという。マドリのガイドを依頼している高橋信子氏は嫌がっているとの事だが、パコは運転手兼経営者なので乗り気だし、皆に聞いたら問題ないとの事なのでOKする。食後も 道は快適で途中ラマンチャのチーズを試食がてらの休憩を挟んで一路マドリのバラハス空港へ。空港にはガイドのNさんが待ってくれていてTさんは無事チェッ クイン、皆で見送ると何だか照れくさそう。彼にとっては短い旅の上、荷物の紛失まであって気の毒な旅となってしまった。
 見送りを終えてから無事宿泊先のホテルに到着。中規模の落ち着いた感じのホテルで従業員の応対も洗練されていてとても感じが良い。夕食もホテルとしては 珍しく上出来で、これで食後は落ち着いて2日分のリポートを一気に済まそうと思っていたら手塚氏から電話が入り、結局新井先生やD君を含め総勢5名で町に 繰り出す事になる。手塚氏の宿泊先のホテル近くにあるスナックで話に四方山話に咲かせて、帰るともう11時を廻っている。既に何もする気力は残っていない。後は寝るだけ。     

6月29日(金)   

 マドリッドは今日も再び快晴。早朝、リポートを書き上げメールチェックと送信をしようとしたらいきなりフリーズして書き上げたメールは全て消えてしまう。出発は今日も8時半と早いので諦めて朝食を摂り、午前中のトレドへ半日観光へと出発する。今日もベテランのパコと昔からの付き合いの長い友人Nさんな ので安心だ。

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 すっかり旅慣れて来たせいか、皆ドライブインや金細工の店での買い物に目を輝かせていて、先ほど迄大騒ぎしていたのに、ふと静かになったと思うともう寝ていたりする。トレドは外壁の下から上までのエスカレータが出来て便利になっていたが、坂道を歩く楽しみがちょっと奪われた感じもしないでは無い。帰ってレ ストランで食事をしているとテレビのクルーが来ている。Nさんとローカルガイドが顔と声を出すのを嫌がるのでお鉢がパコと私に廻ってきた。先生を中心とし たツアーという事で、私が画面に出るのはなるべく控えめにして貰う。マドリッドの市内観光は撮影班と一緒の行動となった。これはこれで良い記念になるだろう。
 革製品の店で取材が終わり、帰りのバスまでの道すがら店のオーナーが一緒だったのにチンピラにガスパッチョの汁をかけられるハプニング、本当に物騒になったものだ。明日はオプションでセゴビア半日観光を急遽入れる事になったのでちょっと危険度が減って一安心。      

6月30日(土)   

 もう何が何でも晴れのスペイン。午前中はセゴビアへのオプションツアーが入って女性陣は全員参加。朝、疲れたのかD君とMさんは朝食に下りて来ない。 パコにお土産を渡し見送って一息入れてから、てソル広場からみやげ物屋、デパート等を案内して、喫茶店でトリフを食べながらお茶、その後マジョール広場か ら市場を廻った後、彼らと別れてD君とNさんの家へ向かう。彼はその豪邸に度肝を抜かれたのか「本当の仕事は何ですか」、とか「出来れば結婚したいです、無理なら使用人でも構いません」等と言っている。暫く休んで待ち合わせの中華料理店の花友に行くと暫くすると皆無事に到着、素晴らしかったと満足そう。午後はロエベからデパートへ廻り皆を地下鉄に乗せてアトーチャ駅構内にある熱帯植物園へ。新井先生は気を遣ってこんなに疲れたことはない、ともうホテルにつ いたらくたくたの様子。直ぐコンサートの準備に掛かって予定通り7時より高木氏の家族や日本人留学生を交えてのアットホームなコンサート。CDも殆どの人が購入してサイン会と記念撮影を終え、彼らと別れた後は気が抜けてしばし男性陣だけが集まってぼんやりと四方山話。最後の一日も無事過ぎて後は明朝の帰国 を待つばかり。    

7月1日(日)  

  今朝は6時30分にホテル出発、日曜日の早朝とあってバスは渋滞にも会わずスムーズへ空港へ到着、私のみは2日程残って後日帰る予定なのでここで別れを告げる。皆元気に楽しかった、又機会があれば来たいとの声を残して帰路に着いた。後で聞くと免税手続き以外は何も問題が無かった様子、何時もの事ながら 過ぎてみると本当にあっという間に過ぎた1週間だった。    


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