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エッセイ:トーレスの音色の秘密③ 手塚健旨

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写真4

エルビラのラ・レオーナ

ラ・レオーナはメスのライオンのことだが、ほかに「高貴」「豊饒」の意味も持つので、タレガはこのどちらかの言葉を指したのだろう。

 トーレスの親友のシルベントによると、タレガは「ラ・レオーナの名付け親は私だ!」と言って、いつも得意そうに話していたという。月日は流れて、トーレスが他界した翌年の1893年のこと。そのころタレガにはエルビラ・ミンゴットという若くて美しい生徒がいた。写真で見る限りタレガが好んだ女性の中では最も美人で、彼女には〈ハイドンのメヌエット〉を編曲して献呈している。エルビラはアリカンテの富豪の娘で、出不精のタレガがこの時ばかりは頻繁にこの地を訪れ、エルビラの家に滞在してレッスンをしている。そうした中、タレガのもとにトーレスの工房で彼が見た先のラ・レオーナを、亡きトーレスの娘アニータが売りに出しているとの情報が入った。するとタレガはあの穏やかな性格から考えられないほど迅速に行動し、ラ・レオーナ獲得のために動き回った。

可愛い弟子に、自分には手の出なかった銘器を持たせたかったのだろう。

そしてついには売り主を怒らせるほどまでに値引き交渉をして、2,500レアールで買い求めた。先方は4,000レアールを要求していたから、エルビラの父親フランシスコも大喜びした。それを見てタレガは

 「これで二本のトーレスが揃ったので、エルビラとコンビを組んでデュエットを行いたい」と申し出たが、フランシスコはそれを固く断った。ブルジョア階級の若く美しいエルビラが、いくら名声を得ていたとはいえ年の差のあるタレガと出歩くことは、世間の目が許さなかった時代である。そしてこのあと父親は警戒心からか、すぐに娘がタレガのレッスンを受けることを辞めさせてしまった。

 それからさらに20年の歳月が過ぎた1913年。フランシスコ・ミンゴットは事業に失敗して破産し、ラ・レオーナもその運命に巻き込まれてしまった。新たな所有者はニコラス・ヒメネスだが、彼がラ・レオーナを受け取りにミンゴット家を訪ねると、エルビラは喪服に身を固め、涙を流しながら“アディオス”と別れを告げてからその愛器を手放したという。

 このヒメネスは1920年にイラリオ・ソルソナに高値で売り渡したが1940年にはサントス・エルナンデスがこのギターを修理した時に、すべての寸法を計っている。1979年にソルソナが亡くなるとそれは娘のアラトランが引き継いだが、彼女はすぐにエルネスト・ハンネン博士に日本円で約700万円で売却。その後このラ・レオーナは製作家のマルセリーノ・ロペスのもとに修理のために持ち込まれると、ロペスはこれをすっかり真似てトーレスモデルとして製作販売した。さらに・・・・・・。もうよそう。

◆アグアドにギターを学んだトーレス

 ディオニシオ・アグアド(1784-1849)のギター教本はつとに名高いが、彼はまた楽器としてのギターにも精通していた人物である。

 

1838にアグアドがフランスのルネ・ラコートに作らせたギターは、それまでのラコートの型、弦長などと大きく異なる。そこに見られる駒(ブリッジ)もアグアドが開発したもので、彼の教本には「1824年に私が発明した駒により、ギターの強度が増した」と述べている。また糸巻きについても当時主流であったペグ式ではなく、左手だけで調弦できる現在と同じ金属製のものを勧め、弦長は650mmがふさわしいというのもアグアドの意見だ。18世紀末は弦長620mmが平均的なもので、ソルでも630mmだから、アグアドは先見の明があった。

 ギタリストは2つのギターを使用すべきとの言葉も興味深い。

「ひとつはコンサート用、もうひとつは強く弾弦するための張りの強い練習用」

 弦の選び方にも触れているが、注目すべきは「トリボディソンまたは固定装置」と呼ぶギターの指示具を発明したことだ。今世紀に入ってから、多くのギタリストが様々のギター保持具をしているが、これもアグアドのアイデアの延長線上にあることだ。

 

写真6

ホセ・ラミレスの店でトリボーデ付きのトーレス(1852年)を弾くPablo de Cruz Concejal(マドリッド王立音楽院ギター教授、アンドレス・セゴビア国際ギターフェスティバル主催者)

写真5

トリボーデを弾くディオニシオ・アグアドの肖像

写真6の裏

写真6のトリボーデの背面

 アグアドは1839年か翌年の初めに長年住み慣れたパリを離れてマドリッドに戻り、亡くなる1849年までここで教授生活を行った。

 その時彼を喜ばせたのは、門下からアグスティン・カンポという天才少年が出現したことである。

 アグアドがすべての愛情をカンポに注いでいるところを見ると、この少年の腕はよほど抜きんでていたのであろう。〈華麗な変奏曲〉、〈変奏つきファンダンゴ〉を彼のために書いたばかりか、カンポ15歳の誕生日を祝って、1849年7月31日付けで、ソルの〈グラン・ソロ〉を編曲してプレゼントしているのだから。

 いや、それだけではない。

 アグアドは遺言を書き、10冊のアグアド教本最終版を初めとするすべての楽譜、書物、そして自らが愛用したラコートのギターを譲り渡している。 それほどまでに期待されたカンポだが、彼は師アグアドが他界すると、なぜかギター演奏から離れ、当時マドリッドで最も著名だったファン・ムニョアの工房を引き継ぎ、ギター製作を行うようになった。しかしそれも僅かな年月で、次にはギター専門店(後に息子のホセ・カンポ・イ・カストロが総合楽器店とする)を経営し、同時に楽譜の印刷販売も行っている。

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