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清水優一 第1話

清水優一①(Guitarra Española ~受け継がれていく伝統~)

清水優一11
12歳からギターを弾き始めていた。
弾いているうちに自分で楽器を作ってみたいという思いが強くなっていった。

製作家になりたい。

すでに中学を卒業する時に、やりたいことが決まっていたので高校だったり大学を卒業するまで待ってからその道を志すという考えは全くなかった。
中学を卒業し、すぐ製作の世界に入ろうと考えた。
職人仕事なので始めるなら早いに越したことはないと思ったし両親は、私の自主性を尊重してくれた。

「やりたいことをやればいい」

自身の経験則から子供を導こうとする親が多い中、両親は、「信用」してくれていたのだと思う。

「やりたいことをやればいい」

この言葉に、そんな両親の温かい心を感じた。

しかし、製作家としてのスタートは、順風満帆という訳でもなかった。

何人もの製作家に弟子入りを希望するも断られ続け、結局ギター作りを始められたのは16歳の時。
茶位幸信氏の工房主催の製作教室に通うことで製作の世界に触れることができた。
中学を卒業して既に1年経っていた。
15歳の時の1年間は、大人になってからの1年間とは重みが違う。
今考えても苦しい期間だった。

そのことがきっかけで茶位氏が校長をしていたフェルナンデスギターエンジニアスクールに入学することになった。
その頃には、製作をしたいという「思い」は、製作で生きるという「決意」に変わっていた。

フェルナンデスギターエンジニアスクール在学中に河野ギター製作所の櫻井社長に手紙を出してみた。
返事があり、訪問を許可された。
初めて訪問させてもらった時、一通り工房の中を見させてもらいとても綺麗で整然とした工房に感動し櫻井社長の大らかな人柄にも触れここで働かせてもらいたいという思いが強くなった。
その時に櫻井社長からは厳しい世界なのでよほどの覚悟が無い限りは趣味としてやっていた方が良いだろうと言われたが、見てみたい作業があれば来ても良いというお許しをいただき、その後しばらくはほぼ毎日通わせてもらい色々な作業を見学させてもらった。(今にして思うと大分迷惑だったかと思います。笑)
一か月ほど経った時に入社試験を受けたが、試験の結果は全然駄目。
しかし、今の学校を卒業してから見習いとして使ってもらえる事になりとても嬉しかったのを今でも憶えている。
その後学校で初めてのクラシックギターを作って櫻井社長に見てもらい貴重なアドバイスを頂けたのだが当時としては一生懸命作ったギターも今見ると酷い作りで、よく恥ずかしげもなく見せに行けたなと思う。
若気の到りでした。
学校を卒業した後見習いとして働き始め最初はプロの仕事に全然付いて行けず、ある程度慣れるまではだいぶ時間が掛かった。
河野ギター製作所にいた間には色々な国やコンサート等にも連れて行ってもらった。
狭かった自分の見聞を広めることが出来たことは、今考えても貴重な財産だと思う。
河野ギター製作所に在籍中、アウラでも作品を扱っていた辻脇淳司さんとも何年間か一緒に働いていた。
氏がスペインに行った時の話を聞かせてもらったり自身でもフラメンコを演奏しフラメンコギター製作への情熱は凄まじいものがあった。
これからというときに病気により若くして亡くなってしまった事がとても悔やまれる。

河野ギター製作所には2000年から2013年までの間在籍。

この13年間は、子供だった自分が人として成長した時間だった。
この道何十年のベテランの先輩方にも色々な作業について教えてもらった。

感謝してもしきれない。

と同時に徐々に自分の名前でギターを作ってみたいという思いが抗いがたく僕の心に芽生え始めていた。

まずは、スペインに長期で行ってみようと考え、悩んだ末、僕は独立した。

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