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禰寝碧海 第1話

禰寝碧海 ①(Guitarra Española ~受け継がれていく伝統~)

生まれた時、すでにギターというものが常に近い環境にあった私にとってギターはあって当たり前のもので、小さい頃の私は自分の傍にいつもあるギターというものについて特に深く考えることはなかった。DSC00202

小学校の頃は頻繁に父の仕事場に遊びに行くことも多く、たまにヘッドの穴あけなど簡単な仕事もさせてもらっていた。
鈍い私はいつも狭い仕事場でひたすらにギターを作っている父を見ても、いまいち好奇心をくすぐられるようなことはなかったように思う。

父からはギターに関してのことよりも、師であり私の名前の元にまでなったマエストロ、アントニオ・マリンとその工房についての話を聞く機会の方が多かった。
人柄のよさに技術の高さ、兄弟子であり親友のホセ・マリンと何をして遊んだかなど、グラナダにいた頃のことについて話す父の目はいつも輝いていた。
事あるごとに嬉しそうにそんな話をされて気にならないわけがない。その頃から”アントニオ・マリン”という人は常になんとなく頭の中にあり、自分の名前を書いたり、自己紹介をする度により一層意識する存在になっていた。

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アルベルト・ネジメ アントニオ・マリン ホセ・マリン ホセ・ゴンザレス

中学校から大学まで寮生活を送ることになり、父が近くでギターを作っているという環境でなくなってからギター製作というものがどういう仕事か、そしてその面白さなどが少しずつ見えていった気がする。
といっても中~高の私はテニスに夢中で将来ギター製作を仕事にすることは全く頭になく、別の色々な職業を夢見ていた。

高校1年の時に初めての渡西でバルセロナ、2年の時にバレンシアに、どちらもテニスのサマースクールで行かせてもらうことができ二度目のサマースクールの後、父と現地で合流しついに初めてのグラナダへ向かった。
小さい頃から何度も話に聞いたマエストロ。同じ名前を付けられた私はまるで”ご本人登場”のような気分で工房へ向かったのを覚えている。

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ネジメ・マリン アントニオ・マリン ホセ・マリン ホセ・ゴンザレス

シエラネバダを背にした緩やかで少し長い坂を上り工房に入るとすぐにマエストロが迎えてくれた。
初めて会ったその人はまるで”久しぶりに再会したおじいちゃん”のような、人にプレッシャーを与えない不思議な雰囲気を持っていて、父から聞いていた通りの人物だった。
その後工房の皆と一緒に食事に行き、師匠との再会に舞い上がった父がベロベロに酔っぱらっているのを見て父がどれだけこの人たちを尊敬し、信頼を置いているのかが見て取れた。DSC_4906

手工製作家としてデビューし、アウラでは祝日のリペアスタッフとして働いている。

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