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ギターのはなし半分

セラック・タンポ塗りは、指先の感覚に注意しながら、ひたすら擦り続けます。作業としては単純で、話をしたり、音楽を聴いたりしながらでも出来ます。
頭の中の半分はカラッポで、腕を動かす単調なリズムは、ランナーズハイのような感覚にさせます。
この脳波が変化してきたような時に、色々なアイデアやイメージが浮かぶ事があります。
多くはギター作りに関する事で、刃物の研ぎ方や、道具の使い方、材料の加工、接着や塗装の方法、等など色々です。
ひとつひとつは、ちょっとした工夫であったり、ささやかな発見ですが、物作りの世界にどっぷり浸かっている人間にとっては、大発見であったりします。
すっきり解決したり、納得したりする事は、少し見晴らしがよくなり、物作りの楽しみのひとつです。
この問題と解決の関係は無数にあり、問題意識がある限り終わりがありません。なかには、どうして今まで気が付かなかったと思える事や、解っていた事の間違いに気づくこともあります。問題意識は、より正確に、綺麗に、効率的にという説明可能なものばかりではなく、伝統的な工法や、経験の積み重ねによる勘やイメージという、うまく説明出来ないものもあります。
また、何を問題にするのか、どう解決するのかは、その人の感性で違い、楽器の個性となって表れてくる気がします。
これから書くことは、頭の半分で思いついた、曖昧な感性の、個人的な話ですから、話半分だと思ってください。
思いついた時に、訂正や、追加をしていきたいと思っています。

 ギターを始めたばかりの人でも、発表会などで人の演奏を聞くと、好みの演奏者を聞きわけることが出来ます。
音色に関しても興味があれば、漠然とした好みがあります。それは友達や、先生の弾くギターの音色であり、CDから聞こえてくる音色かもしれません。
でも、いざ自分でギターを選ぼうとすると不安になります。耳に残った音色と、同じメーカーのギターでもなんとなく違う様に感じるのは、初心者ばかりでなく、ある程度弾ける人でも感じる不安のようです。
木材で製作されているギターは、工業製品と違い、全く同じ物はありえません。弾きこまれたものと、新品でも差が出てきます。
また、いい音色、いいタッチ、いい演奏は渾然一体となって聞こえてきます。
同じギターでも弾く人が違うと印象が違ってきます。当然、同じギターでも人によって『いいギター』であったり、そうでもなかったりします。ギターは簡単に音が出せるのに、思い通りの音を出そうとすると、とたんに難しくなります。

  いいギターを見つけるには、まず、自分に合ったいいタッチを見つける事が必要になります。
ギターの音色を聞き比べるのは難しいもので、漠然と聞いていてはなかなか違いが見つけられません。
『倍音』のところでも説明したように、意識しなければ聞こえてこない部分があるのがわかると思います。
たとえば6弦の開放弦の音の中から、2倍音を聞こうと思えば3倍音や4倍音は聞こえなくなります。
人間の聴覚はわりと曖昧で、普段は聞き流している部分が多くあります。一台のギターを試し弾きするとき、ギターの分離は?倍音は?、共鳴音は?、と自問する必要があります。
音色の個々の部分は意識すれば必ず聞こえてきます。もちろん部分を意識しなくても、普段は全体を一つの音として聞いているわけですから、全体の印象を聞き比べるのが一番ですが、たくさんのギターを、部分を意識しながら聞き比べていけば、そのギターの特徴がつかみやすくなります。
 音を聴き比べる時に邪魔になるのは、タッチによる雑音ですが、曲を弾く事ばかりに気をとられてなかなか気がつかない人がいます。多くの場合、爪をきれいに磨く事だけでかなり解決します。
爪は、ときに数百万円もするヴァイオリンの弓のような物で、試しに、一度本気になってピカピカになるまで磨いてみて下さい。
a.m.iの中から1本の指だけ磨いて、親指の爪で磨いた爪先を軽くこすって、ツルリとなっているのを確認してから、磨かなかった指と、どのくらい差があるのか聞いてみて下さい。
爪先のキズをはっきり感じる方法もあります。普通にギターをかまえて、指先を12F辺りに置き、肘を駒の所まで下げます。
爪先の稜線と1弦が直角に交わるように置き、爪先を左右に振り、弦で擦るようにするにします。
キズがあればゴリゴリしてすぐ分かります。普通売られている爪磨き用ペーパーは耐水ペーパーですから、多少の水分があると早く磨けます。
仕上げは2000番以上のペーパーや皮などを利用しますが、多少の油分があると綺麗に磨けます。
ペーパーのまくれや表面のキズを取るために、爪先の外側から丸める様に仕上げます。
爪先の稜線を滑らかでキズひとつないように磨いたら、1弦を弾いて、他の弦は消音しておきます。
聞きたいのは音の立ち上がりの部分ですから、弾いた直後に消音します。他の指と弾き比べて、爪が弦を横切る時の雑音の差(もともと綺麗な爪なら差はありません)が聞こえたら、今度は指先が弦に当たる時の音を聞いて下さい。
弦につけた状態から弾いた音と比べると分かりやすいです。

 音を出すときは、なるべく大きい音で弾きます。小さいと、音を聞きわけづらいし、始めに強いタッチを覚えたほうが上達は早いようです。
音を部分的に聞こうと集中すると、i、m、aで音色が違っているのが分かると思います。
aの指だけ音色が違うといって爪の形を変えたり、タッチを変えたりして苦労している人もいます。
原因のひとつは、aとiで弾弦位置が4、5センチ違うからです。特にハイポジションだとこの差は大きく、倍音構成が違ってきます。
手の甲を移動して、同じ位置を弾弦すると確認できます。爪の形を変えたり、弦を横切る時の向きを変えたりして、好みの音を探しますが、雑音の少ないタッチで、音の立ち上がりを注意深く聴くと、タッチで音色が変化していくのが良く分かると思います。

ギターの立ち上がりの音には、弦に当たる音、横切る音が含まれていますが、もう一つ立ち上がりの時に聞こえてくる音があります。
これはギターによっては多少聞き取りにくいかもしれませんが、進行波もどきがサドルで反射する時の打撃音だと思われます。
これは駒をノックしたような音で、駒の近辺が硬ければ『ンコ、ンコ』、柔らかければ『ンゴ、ンゴ』というような音です。
この音は音程感がなく、弦が同じなら、音程を変えても同じ様な音がします。1弦を前と同じ方法で弾いて半音ずつ上げながら、打撃音を探して見て下さい。
弦につけた状態からアポヤンドすると聞きやすいです。それは心臓の鼓動のように聞こえます。

 初めて聞いてもグッとくる曲があります。また曲を聞く環境や、繰り返し聞く事で好きになったりすることもあります。
音楽を聞いてグッと感じるのは感性の問題で、人それぞれ違います。聞いた人すべてが、いいと感じる音楽は有り得ないと思います。
ギターの音も人によって好みがあり、その人がグッと感じた楽器が一番合っているはずです。
でも、なぜか自分が弾いている楽器が気に入らなくなることがあるようです。
単純に飽きてしまったと言うことばかりではなく、長年弾き込んで愛着は増すものの、不満も増してくる事があるようです。
好きな音楽でも聞き飽きてしまう事があるように、楽器に対する好みも変化してくるのでしょうか? 
音楽を聞いてグッときたり、感動したりする感性は、いつの間にか身につけてしまったもので、なぜ感動したかを説明できないし、意識して変えられない世界のようです。
しかし音色に対する感性は、知識や練習量によって多少変化していく気がします。

 自分のタッチが少しずつよくなり、雑音が減ってくれば、音の性質が分かりやすくなってくることは前にも書きましたが、それ以外で変化していく部分があります。
それは、楽器は演奏者にとっての道具だからです。演奏者が表現したい音楽を、そのまま音に出来る楽器がいい楽器だと思うからです。演奏レベルは練習の積み重ねによって上達し、表現に幅や、ゆとりが出てきます。
この演奏レベルの変化は、楽器に求める音色の変化に通じるものがあるようです。
バッハにはこのギター、スペインものにはこのギターと楽器を使い分ける事もあるし、いままであまり気にしないで使っていたギターが、すごくいいギターだと気がつく事もあるようです。

 では演奏者は何を楽器に求めるのでしょうか?これはとても難しい問題で、何人もの演奏者に話を聞いても、音のイメージとしてしか伝わらず、求める人の数だけ種類が或るような気がしますが、共通する部分もあります。
これはどんなギターが音楽をうまく伝える事が出来るのか、聞く立場から考えてみると分かりやすいです。
ギター音楽は、音のつながりと積み重ねで出来ています。同時に出る音が、三つ、四つと増えていったとき、積み重なった音のひとつひとつがはっきり聞こえてくると、音楽が伝えようとしている情報が分かりやすくなります。
また広いダイナミックレンジのために、強めのタッチでも音がつぶれない事も必要です。音がつぶれるというのは、弦高が低いためにフレットにあたる雑音とは違います。
特に低音弦はウルフトーンの影響や、元々振幅が大きいため、どこかで弦打ちの雑音が入りやすく、タッチでコントロールする必要があります。
高音弦のハイポジションでも、強く弾いて音がつぶれず、ピントが合った芯のある音が求められる気がします。
大きい音で、よく鳴る楽器でも、分離が悪く音がつぶれてしまっては音楽がうまく伝わりません。
これ以外にも楽器に求めるものは沢山あると思いますが、この二つをクリヤーした楽器の中から、グッと感じたものを選べば、長く付き合えるギターと巡り合えると思います。

年賀状や手紙などを見ていて、時々うまい字に出会うことがあります。
たぶん、それは誰もが納得する「いい字」だと思います。日本の漢字文化に生まれ育った人ならば、特別に書道を習わなくとも、字のうまい、下手に関して、ある程度共通の認識があると思います。
日本のギター文化はまだそれほど深くなく、他の日本的な文化と混じりながら、日本独特の発展をしてきました。
しかし近年、文化の質が変化してきた気がします。それは音色の好みの変化としても感じます。
かつては、音さえ出れば何でもよかった時代から、単音が心地よく出ればよいという具合に変化し、今は音の分離を気にする人が増えています。
これは日本の住宅事情にも関係があり、畳と襖の和室が主流だった時代は、ギターから出る音自体にエコーがかかったものが好まれていましたが、建築が近代化するにつれて室内の音の反射が多くなり、空間も楽器の一部となってきたのです。
ギターソロの場合、単音だけというのは少なく、和音ならコード感のしっかりしたもの、早いアルペジオで音の粒立ちを感じさせるものなど、内声が埋もれない楽器が好まれるようです。
ギターから生まれる音楽を響かせるには、その場の空間も大事な役割を果たしています。
 
 出来上がったばかりのギターは、形としては完成品ですが、楽器としては未完成で、熟成して美味しくなるワインのように、その後の弾き込みが必要です。
弾き込まれることで、弦の振動に敏感に反応し、よく鳴ってきます。特に、初めて弦を張った時は、表板の緊張が大きく変わり、音色は日毎に変化していきます。表板の緊張がおさまるべき所まで変化し始めたわけで、板が暴れる感じは少しずつとれていきます。

 弾きこみによって、すぐに鳴り出すのもあれば、10年たっても鳴ってこない楽器もあります。
一般的には表面板が杉の方が早く鳴り、松は時間がかかります。短いサイクルで見ても、弾きはじめと終わりで変わります。充分弾き込まれた楽器でも、30分ほどウォーミングアップしないと本領を発揮しないものもあります。
また小さい音で練習していて弾く時間も少ないと、鳴り出すまでに時間がかかります。
楽器を選ぶとき、今がどのあたりか見極めるのは難しく、その場の環境や、弦の相性なども考えると、正解のない世界かもしれません。
しかし、今はあまり鳴っていなくても、弾き込めばすごくいい音になりそうな楽器や、このままあまり鳴りそうもない楽器、このままいけば鳴りすぎてかえって良さを殺してしまいそうな楽器はある程度わかります。
といっても、絶対なわけではなく、鳴る、鳴らない、鳴りすぎる、の境界線も曖昧ですし、弾き手によっても違ってくるようです。弾き込むにつれて鳴ってくるのは、とても楽しみであり、楽器との関係を親密にします。
特にギターは微妙なタッチの違いにも敏感に反応し、『今日は機嫌が悪い』とか、『ギターを育てる』など、人との付き合いのような表現をよく聞きます。好きになってしまえば『あばたもえくぼ』であったり、ラベルという履歴書でほれ込んでしまったり、弾き手が変われば表情を変え、怪しげな音程で人を魅了する、ギターはとても人間的な楽器だと思います。

 何気なく耳にしたギター音楽がとてもいい曲に感じ、後で譜面をさがしだし自分で弾いてみると、同じようにいい曲だと感じない事があります。これは演奏レベルが同じでないからという事だけではなく、聞く音楽と、弾く音楽の違いのような気がします。
ギターを弾くとき、脳は活発に活動し、左右の指先に指令を出しています。
譜面や指先を見る目からの情報を処理し、聞こえてくる音を確認し、暗譜や練習の記憶も呼び出しながら、ギターを淀みなく弾くのは奇跡のように思えます。
これだけの作業をしながら、出来上がった音楽だけを聞き取るのは難しく、人の演奏を聞く時のように聞こえないのも当然かもしれません。
音楽は主に右脳で処理され、数学などの概念的思考は左脳で処理されているようですが、聞く音楽は右脳、弾く音楽は左脳が優位に働いているのかもしれません。

 脳の機能はまだ謎だらけで、歌は右脳、話は左脳と、同じ言葉でも偏りがあるようですし、詩の朗読などはどちらで聞いてもおかしくない気がします。
演奏会などで、運指やタッチを気にして聞いている人は左脳も働いていそうですし、音楽評論家が演奏技術を聞き取るためには、右脳だけでは無理なのかもしれません。
もしかすると、音の部分を聞く時は左脳よりで、グッとくる音を感じるのは右脳よりかもしれません。
いずれにしてもギターを選ぶ時には、難しい曲を弾くより、完全に手の内にある、あたかも他人が弾いているような感じで聞ける曲か、単純な音の羅列のほうが分かりやすいです。

 昔、オーディオマニアが大勢いて、レコードの再生音をより生音に近づけるために、色々工夫し、熱中していた時代がありました。
高級なアンプやスピーカーはもとより、リスニングルームという音をきくための部屋まで作る人もいました。
再生された音を説明する形容詞は豊富で、違いを聞き分ける耳もあったし、評論家もいた、ひとつの文化でした。
今もまだ続いている文化だと思いますが一時の勢いはありません。
衰退してしまったハッキリした理由は分かりませんが、多分CDの出現によって音質がよくなり、高級なオーディオでなくてもそこそこの音が出せるようになった事が関係している気がします。
これは苦労した分だけ音がよくなるという楽しみを減らしてしまったという事です。
LPからCDへの移り変わりは劇的でしたが、個人的にはウォークマンの出現も衝撃的でした。当時普及していたラジカセよりはるかにクリアーで迫力のある音でした。
これはヘッドホーン特有の頭の中心から音が出るという不自然な現象を普通にする力がありました。
ウォークマン世代にとってはスピーカーの音が物足りなく感じる人もいるようです。
今は音楽の再生に、ミニコンポ、ヘッドホーンなどが使われているようです。

 録音の技術も進歩し、デジタル録音されています。音の編集もかなり自由に出来るようになり、その気になれば音痴も簡単に直せます。
ギターの録音の場合残響が必要で、ホールで録音する事も多いようです。
残響が少ないと音がクリアーになり細かいニュアンスが聞き取りやすくなりますが、演奏が冷たい感じになります。
残響が多いと暖かい感じになり音もレガートにつながりますが、音楽が曖昧になります。
適度な残響が一番ですが、最近少し多めになって来た気がします。
これはCDを製作する人がミニコンポを使って再生する人々を想定して作っているからではないかと密かに思っています。

 たまにあのCDと同じような音がするギターが欲しいという人がいますが、CDの音はCDの音であって加工されたもので、普通に自分で弾くギターから聞こえてくる音とは違います。
昔に製作されたフラメンコギターは、ウルフトーンの位置も低く乾いた歯切れのいい音がします。
音の出方を、豆を炒る時のような音と表現した演奏家がいましたが、特に低音でその特長を感じます。
しかし今作られているフラメンコギターが、なんとなくアンプがかった、金属的な音がするものが多いのは、フラメンコ音楽そのものが変化してきた事と、CDの音作りも影響しているように思います。
それはCDの音に近いイメージの楽器を求めるユーザーがギターの音色を変えてしまった気がしてならないからです。
ギターの音がアンプがかってきたのはクラシックギターでも多少ありますが、これもCDの影響でしょうか。
音楽はやはり生で聴くのが理想で、CDの音は別の物と思っていた方がいいと思います。

 CDと生音の違いと同じような問題がもうひとつあります。それは、演奏者は自分の出した音を離れた位置からはけっして聴く事が出来ないという事です。
似たような爪とタッチを持った人を探し出して、代わりに弾いてもらうのはとても難しい事です。
まして、満員のホールの客席でどんな音で聞こえているかは、想像するしかありません。ホールで演奏を聞くとしても、座る場所や、空席率の違いで印象が変わってきます。
また、音量の小さいギターには、それなりの大きさのホールが必要です。
結局、色々なホールで演奏を聞き、そのギターを普通の部屋で弾いて、イメージを作っていくしかありません。
これは誰もが簡単に出来る事ではないですし、同じギターでもタッチが変われば音のとおりも違ってきます。
良く鳴るいいギターだと思っても、ホールで聞くと、もこもこした音で鮮明に聞こえない事がよくあります。
これは、ホールがノーマルだとすると楽器の音の分離が悪い場合が多いです。
しかも演奏している本人はその音を客席で聞く事が出来ません。ステージの上では、自分が出した直接音とステージに帰ってくる反射音が聞こえますが、ホールによっては反射音がとても少ない所があります。
これは屋外で弾いているのと同じようなもので、普段弾いている時よりも音が小さく聞こえ、演奏しにくくなります。
客席に音が吸い込まれてしまう感じで、つい力が入ってしまう、と聞いた事があります。
ホールでの演奏は、遠くの客席まで聞こえるような、大きな音も必要と言われています。
その為には、強いタッチとそれに答える楽器が必要になります。しかしダイナミックレンジを考えると、弱音がどこまで届くかが重要になります。

 昔の楽器に比べると、現代の楽器はウルフトーンの位置が徐々に高くなり、よりパワー感があるものが増えて来たようです。
これは大きなホールで演奏する機会が増えたり、他の楽器に負けない音量をという演奏者の要求があるようです。
音量を増やす為には、強いタッチが必要で、それに答える楽器が必要です。


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