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4.マルセリーノ・ロペス工房編

 マドリッド北部の閑静な住宅街を歩いて行くと、彼の工房兼自宅がある。マドリッドの製作家にしては珍しく、一戸建ての家の中に工房がある。呼び出しを押すと、息子のルベンが鍵をじゃらじゃら鳴らしながら出てきた。本山氏が握手をして抱擁した後、僕を紹介しようとすると、「カオル(尾野薫)のアミーゴだろう」と言って歓迎してくれた。

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 工房へ入る前に材料倉庫を見せてくれた。ロペスはクラシックギターのほかにも古楽器にも精通していてリュートやガンバ、19世紀ギター、そしてヴァイオリンも手がける本物のリューティエである。そのためギター材のほかにもサイズの大きいいろいろな材料が倉庫の中でひしめき合っている。そのまま家の中に入り、ロペスが作ったものもあるらしい素敵な家具調度品の間を抜けていく。階段の壁には彼が描いた油絵もたくさん掛けられていた。いよいよ彼のアトリエへ。ここは工房と言うよりもアトリエのほうが似つかわしい。

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 アトリエに入りニコニコしたロペスと挨拶をする。彼もまた優しい目をしていた。そして辺りを見渡してびっくりした。近代的なものは何もない。壁には異なる 時代のいろいろな楽器や、製作の途中の楽器や治具、そして道具類、どれ一つとっても愛らしく飾られている。まるで中世の宮廷製作家の部屋へタイムスリップ したようである。日射しの入る天窓には、いろいろな楽器の表板が大小”接ぎ”した状態で吊られて、茶褐色に焼けている。それらは、製作に入るために彼の手 に取られるのを、今か今かと待ちわびているかのようである。

 またアウラに納品予定のギターを見せてもらう。裏横は特徴的な木目の楓の材料で、軽く鳴らすとロペスらしい甘く高貴な品のある音が飛び出してきた。少し弾いていると、ギターの音と彼の工房の空間とがシンクロして宮廷演奏家になった気分である。そのあと彼自身が演奏してくれて、しばしギターの音に酔いしれた。

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 彼の製作によるヴィオラ・ダ・ガンバも見せてくれた。28年前から取り掛かっていて、太鼓はできているが、ネックのヘッドの彫刻にもうしばらく時間がかかるであろう。(ガンバはスクロールのものあるが、ほとんどは妖精や神様の顔を形取ったものが多い。) ルベンが「20年もそんなもの作って、1000年生きるつもりか?」と笑って言うと、彼はぜんぜん構わない様子で、「20年じゃないよ、28年だよ。」と言っていた。本当にニコニコ楽しんで楽器製作を楽しんでいる。とにかく楽器製作を点ではなく線でとらえているというか、自分の人生と同時進行のようである。数ある楽器や道具の作り出す空間に、なんだか彼が溶け込んでいるように感じられる。息子のルベンの楽器もしっかりと彼の音色を引き継ぎながら、完成されてきている。孫もたくさんいるようなので、彼の豊かな感性と楽器への思いは受け継がれるであろう。今後もとても楽しみである。

 別れを告げ、外に出ようとすると雨が降っていたので、彼が傘を貸してくれた。季節の変わり目の冷たい雨の中を彼から借りた傘で歩いていると、自分のこれからの楽器製作も、現実という雨から、彼の楽器製作にかける思いで守られていくような気がした。


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