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6.アルカンヘル・フェルナンデス工房編

 シャッターが閉められたままの店舗部分の脇から入り、裏口をコンコンとノックすると、いつものように鍵を開けてアルカンヘルが中に入れてくれた。マドリッドに来てから何回目か、いつ訪ねても整然とされた工房の中でアルカンヘルは製作に励んでいた。

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今回のスペイン訪問で一番楽しみにしていたのが、アルカンヘルと会えることだった。うわさに聞く彼の製作姿勢や寡少な製作本数、そして何本か見た彼の楽器から、一目会って握手をしてほしいと思っていた。ロマニリョスの講習の時もそうだったが、製作作業を見たり、聞いたりできることは技術的に何よりであるが、それ以上に自分が良いと思える楽器や製作者自身に出会えるような感覚的なことが、自分にとってとても重要だからだ。良い楽器を見ると嬉しくなる。製作家の試行錯誤を想像する。心を動かした楽器があったなら、それを作り出した製作家にも会ってみたい。刺激を受け、目標が出来ると毎日の製作が楽しくなるので、極端であるが製作そのものをもっと好きになってしまう。後は「好きこそものの上手なれ」でいくらでも努力できるのだ。

 本山氏が挨拶すると作業の手を止め抱擁した後、いつものようにギターについていろいろとまくしたてる。その様子はまさに江戸っ子ならぬマドリっ子で、頑固一徹の職人そのものだ。彼の後ろには鑿や鋸などいろいろな手道具が壁にかけてあり、その上にフラメンコギタリスト時代の彼の写真が飾られている。天井近くに材料とともに型など治具も見え、足元には表や裏の厚みを決める作業台も置かれている。そのほかギター製作に必要な道具類は幾つか見えるが、とにかく必要以上のものは本当に何もないといった印象である。製作で現在進行中のものは1台で、芸術品のようにきれいに仕上げられ、駒(ブリッジ)が接着されるのを待っている。(裏横の材料は考えられないような最高級のものを使用していた)あとは表板や裏板なども数枚接ぎされ、厚みを決められて吊るされている。

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 彼にアドヴァイスや製作の心構えを求めたが、「お前の作りたいギターを、俺が知るわけないだろう!」と一喝され、全くその通りと笑ってしまった。それでも表板の重要さ、裏横板のバランスについて語ってくれた。そして「材料はあるのか?」と聞かれ、「多少持っているが良いものばかりでもないので今買い足しているところだ。」と答えると、店舗部分に連れて行かれ、奥の棚の布をめくると、表板の材料があった。「ここにあるのは全て古い材料だ。欲しければ譲ってやる。」すべての表板に仕入れた年と月が記されている。その多くが80年代からである。そして皆使えそうなのだ。タップすると新しい材料にはない、粘りを含んだ枯れた音がする。僕はアルカンヘルに感謝して、尾野氏の分とで4セット譲ってもらった。それを見てアルカンヘルはついでにとばかりに、目の覚めるような真っ黒な柾目の黒檀を4枚、自分が使うために用意してある棚から出してくれた。そして譲ってもらった表板に、アルカンヘルのサインとメッセージを書いてもらった。

 その後、お気に入りの日本食レストランで一緒に夕食を食べたり、バルでワインを飲んだりとアルカンヘルとの楽しい時間が過ごせた。別れ際にした彼とした握手の、特に職人らしいごつい手指の感触は一生忘れない。そして去っていく彼の背中を見ながら、僕もアルカンヘルのような妥協のない製作姿勢で生きていこうと誓った。


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