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貴重映像:有名製作家からアウラヘのメッセージ

Spainguitarmaker
アウラで長年親交を深めてきたスペイン有名製作家と次世代を担うであろう有能な若手製作家の許を訪れた。
日本のスペインギター・クラシックギター愛好家の為にメッセージを頂いたのでここに掲載したいと思います。

(対訳については後日掲載したいと思います。)

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Granada    アントニオ・マリン工房
グラナダには、現在も多くのすぐれた製作家が工房を構えており、世界でも屈指のギター産地となっている。
それら新旧の名工ひしめく中で、齢80を越えた今も現役で製作を続け、頂点に位置するアントニオ・マリン。
ある人は、グラナダのギター文化が途絶えなかったのは、アントニオ・マリンの功績だと言っていた。
「温厚」「神様のような人」「絶対に裏切らない」、彼の人柄を形容する言葉として、彼と会ったことのある人たちから聞いていた。
実際会ってみると、耳にしていた以上に素晴らしい、素敵な人柄の持ち主だった。
わざとおどけてこちらが緊張しないように常に気を遣い、終始笑顔で話し掛け、その人がそこにいるだけでがらっとその場の雰囲気をかえてしまう、そんな人だった。
製作家としての彼については、ギター好きなら誰もが知っているだろう、余計な説明は必要ないと思う。

ホセ・マリン アントニオ・マリン ホセ・ゴンザレス ホアン・アントニオ・マリン

 

 

 

マルセリーノ・ロペス/ルーベン・ロペス
マドリッド市の中心から少し離れた閑静な住宅街にマルセリーノロペスの自宅兼工房はある。
その建物は、外からは一見普通の住宅と何一つ変わらない様相をしていた。
しかし、一旦中に入るとその外観からは想像もつかない程の濃密な芸術の世界が現れた。

小さな美術館とでもいえるようなその建物の中には、ロペス氏が収集したギターを中心に様々な珍しい楽器や書物、、手作りの小物や絵画まで展示されている。
それら全てにロペス氏の芸術家としての感性が濃密に反映されているのが如実に感じられ、そこからひとつのことが自然と了解された。
あぁこの人は「ギター製作家」という肩書きだけに収まるような人ではないのだと。

少しトーンの高い声音で、ゆったりと話すマルセリーノ・ロペスを見ているとその考えはさらに飛躍してなんだか仙人とかホビットとか異世界の世界の人にも思えてきた。

芸術の中で生き、一般的な価値観ではくくってはいけない人、言い過ぎかもしれないが存在そのものが芸術を感じさせる不思議な人柄だった。
高齢にもかかわらずまだその製作意欲は衰えず、年間4本程度は作っているとのこと。
驚嘆せざる得なかった。

 

 

Granada    アントニオ・ラジャ・パルド
                     ラジャ・フェレール
筆者のスケジュール的に土曜にしかグラナダにしか行けないということになり、
急遽連絡を入れた。本来工房は休みのはずなので断られると思っていたが、アントニオ・ラジャ・パルドはわざわざ工房を開けて朝から待っていてくれた。
こじんまりとした工房は、実直に製作しているということを感じさせる雰囲気があった。
製作以外の無駄な物は置いてなく、到って簡素ではあるが、それがまた彼の性格を物語っているように感じられた。
楽器置きに数台の楽器が置かれていて、その中の彼が最初に作った楽器を見せてもらった。
ラジャ自身は、フラメンコを弾くのが好きで、その最初のギターをとても気に入っており日々愛奏しているという。少し弾かせてもらい、その素晴らしさに納得した。
最初にこの世に産み出した自分の作品を、多くの年月と経験を経たいまも大事に愛奏する、そんな世界を美しいと思った。

 

Granada    ジョン・レイ
グラナダのとある路地の奥まった場所にジョン・レイの工房はある。そこは工房が2つ並んでいて、手前の工房は元はトーマス・ホルト・アンダーセンの工房だったという。
小さい工房の中に背の高いジョン・レイがいた。カナダ人のジョン・レイは、偏見かもしれないが、スペイン人の気質というよりは、どちらかというと寡黙で静かな人だった。
製作中のビセンテ・アリアスモデルがおいてあった。
ビセンテ・アリアスがダブルトップをしていたという驚くべき事実を資料を手に事細かに説明してくれた。
一昨年、グラナダ派の古今の製作家を通覧する素晴らしい書物‘The Granada School of Guitar-Makers’を編纂、出版したことは記憶に新しいが、そこに貫かれていた探求精神は製作姿勢にも見て取れた。

 

 

Granada     ホセ・ビヒル
ジョン・レイが編纂した‘The Granada School of Guitar-Makers’に掲載されて
いるのを見てその名前を知った。狭く入り組んだグラナダの路地の奥に工房はある
(現在は、ジョンレイの隣で、元々トーマス・ホルト・アンダーセンの工房に移った)。
迷路のような道が続き、実際辿り着くのに非常に難渋した。
日曜だというのに工房を開けてくれ、快く迎えてくれた。写真で見た印象は、眼光鋭く、少し怖い印象だが、実際は穏やかで非常に優しい人柄の製作家だった。
アントニオ・マリンを頂点に花開いた現在のグラナダのギター文化・コミュニティー、製作家にとってこの上ない環境だと彼は言った。透明で分離の良い楽器を製作したいという熱意と、常に伝統に敬意を払う真摯な彼の姿勢は忘れられない。2016年9月 入荷予定。

 

Sigüenza  J.L.ロマニリョス&マリアン
製作家の田邊雅啓が、伝統工法と出会い、また師でもある尾野薫と出会ったのがロマニリョスの講習会だった。
あれから14年、邂逅を果たすことが出来た。
ロマニリョス、妻のマリアンシグエンサという都会の喧騒から離れた場所に緩やかに流れる時間の中、貴重な
メッセージを撮ることが出来た。

 

     J.L.ロマニリョス ビウエラ解説

また、ロマニリョスが現在取り組んでいるのがコンサートスタイルで演奏できるビウェラ改良と開発だった。シグエンサの小さな工房でいまだに大きな情熱をもって製作に取り組んでいる。

 

Madrid    マヌエル・カセレス 
マドリッドの、現在では数少なくなってしまった製作家の一人 マヌエル・カセレス。
1960年代から70年代にかけての黄金時代のラミレス工房で頭角を現し、その後1978年からはアルカンヘル・フェルナンデスの工房で彼に師事し、独立した工房を立ち上げた後現在に到るまで、常に柔軟な姿勢でスペインの伝統の中にいかに自身の楽器を位置づけるかを模索し続けてきた。
アルカンヘル引退後、唯一の正統な後継者と目されている。
アルカンヘルの創り上げた「剛の世界」。それをそのままなぞるのではなく、まさにカセレスならではの方法で継承、昇華し、「柔の世界」をつくりあげた。

 

Cordoba   マヌエル・レジェス・イーホ
マヌエル・レジェス亡き後、フラメンコギターの世界を牽引するマヌエル・レジェス・イーホ。
工房を訪ねるも不在で、私たちの滞在スケジュール的に厳しくなり、もう会えないと諦めていた。
それでももう一度訪ねてみようと翌日朝早く、行ってみると偶然工房に居た彼と会うことが出来た。
実直、誠実な人柄で、彼のギターの秘密を垣間見ることができ、短いながら貴重な時間を過ごした。
さらに私たちはなんと先代の貴重なオリジナルフレットも譲り受けることが出来たのだ!
(このレジェスオリジナルのフレットは弊社アウラのリペアメンテでご利用頂けます。
オリジナルフレットでの打ち換えをご希望のお客様は是非ご相談ください!)

 


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