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海外クラシックギター専門誌<ORFEO> 「日本の製作家」特集 取材レポート③ 田邊雅啓 編

フランス、パリのCamino Verde社から出版されているクラシックギター専門誌<Orfeo>
いま世界中のクラシックギターファンから注目されるこの美しい本が、次号にて日本の製作家を特集する事が決定!!
この本の編集長であり、カメラマンとインタヴュアーも務めるAlberto Martinez 氏の取材に同行し、その現場をレポートするエッセイ。第3弾となる今回は田邊雅啓氏の工房 をご紹介。

Orfeo Magazine と取材に至る経緯と第一回尾野薫編、第二回禰寝孝次郎についてはこちらのエッセイをご覧ください
<海外クラシックギター専門誌ORFEO 「日本の製作家」特集決定!!>
海外クラシックギター専門誌<ORFEO> 「日本の製作家」特集 取材レポート① 尾野薫 編
海外クラシックギター専門誌<ORFEO> 「日本の製作家」特集 取材レポート② 禰寝孝次郎  編

 

製作家 田邊雅啓氏について語ろうとするとき、「現在国内若手製作家の中で間違いなくその先頭に立ち、次世代を担う俊秀」、という極めて月並みな讃辞の言葉がまずは浮かびはするのですが、それよりもまず彼の人間的な魅力の深さについて、それはもちろんギターという文化と音楽をこよなく愛するがゆえに特性として備わったものであるともいえるのですが、話さなければならない、という思いに駆られてしまいます。自身の仕事に誇りと責任を持ち、偉大な先人達へのリスペクトを忘れず(つまりいつも初心のみずみずしさと絶えざる探求心を同時に持ち続け)、寛容な厳しさと、さらには非常なユーモアの持ち主。かなりの碩学とさえいえるギターに関する広範な知識と認識の深さをも持ち合わせた方、とひとまずは(もっとたくさんありますが)言えると思います。実際に彼と会ったことのある方ならすぐに気づくことですが、ほとんど動物的な俊敏性とでも言いたくなる身振りの繊細な鋭さを持っており、手先が器用というのとは別次元で、彼の思考を完全に表現しうる指先の熟練を備えています。自身の積年の研究、求める最高の音、最高の形としてのギターという楽器を模索し続ける彼の作品は、そのどれもが必然的に「未完」のものでありながら、それゆえにどの個体も他にはない非常な魅力を持っています。

その終わることのない探求はどこへ向かうのか、という私たちにとっても興味深い問いに対する答え、とまではいかないまでも、図らずも今回のOrfeo Magazine 取材でその方向性を垣間見ることができたのは、それだけでとても貴重な内容だったと言えると思います。

 

前回の禰寝孝次郎氏の工房から、そのまま車で田邊氏の工房へ。東京から高速道路を乗り継いで午前に禰寝氏、午後に田邊氏の工房に、しかも取材同行という形で訪れることが出来るとは、ギター愛好家からすればなんという僥倖、と叫びたくもなるような出来事ですが、そんな興奮がOrfeo のスタッフに伝わったのか、

「あなたも一人一人の工房を訪れるなんて機会は今までになかったのではないかしら?これは素晴らしい経験だと思うわ」

とあっさり見透かされてしまった。まったくその通り!

 

田邊氏の工房は東京から高速で約2時間ほど。風景はやはり落ち着いており(高速道路わきの斜面に猪の親子がいた)、ただこちらの気持ちは禰寝氏の工房取材の興奮もまだ落ち着かない状態の中、到着。その日関東は広い範囲で大雨だったのですが、そういえば昨年秋の超大型の台風が何度も上陸した時に、大きな川が近くに流れる田邊氏の工房はギリギリのところまで浸水してきたというから驚いてしまった。実際に付近の方で甚大な被害を被った方もおられたことと察するほどに、田邊氏が無事で良かったと思わずにいられない。

田邊氏の工房は何年か前、NHKのBSプレミアムの「美の壺」(再放送はEテレでも放送)の「ギター」の回でご本人も出演して紹介されているので、ご覧になられた方も多いと思います。

 

工房の入り口で靴を脱ぐ、この日本独特の作法をもはや Alberto氏とOrfeoのスタッフは楽しんでさえおられるようだ。扉を入ってすぐのところが広い空間で製材スペースになっており、そこから8畳?ほどの応接間のようなスペース、そしてその奥に作業場がある。ざっと工房のなかをAlberto氏が見渡しスタッフと共に、「素晴らしいね」とひと言。まずは応接間でインタヴューが始まる(この応接間、田邊氏の書斎兼練習ルーム兼リスニングルームのような感じなのだが、その蔵書やCD、壁に貼られたポスターや写真など愛好家心をそそるものばかり。おまけに真空管式のアンプまであって、音楽を聴き込むということの主義を感じさせるところ、なんとも心地よい空間でした)。

 

 

インタヴューは前2回の工房訪問でもされた共通の質問、なぜ、どうしてギター製作を始めたのかというところから始まりました。
石井栄氏の工房でギターを作り始めたこと、スペインでの多くの名工達との出会いとその影響、そして帰国後に製作家尾野薫氏のサポートを受けながら、製作の腕を地道に磨き続け、同時に自身のモデルを完成させていった経緯。Alberto 氏は英語で直接田邊氏に質問し、氏も出来る範囲でそれに答え、微妙な部分の説明はスペイン語の通訳という形で進んでゆきます。

 

 

「アウラで修理を担当するようになって、それまでになく様々なタイプの楽器を実地に検分し、研究する機会を持てたことはとても大きな、貴重な経験です。」
という田邊氏の答えに対し、

「君はスペインでロマニリョスに直接学ぶ機会を得て、他の名工達のエッセンスを汲みとって日本に帰ってきた。探求を重ね、アウラで世界中の多様なギターを研究し、そして現在の君があると思うのだが、その君がいまたどり着いたのはどんなギターなのだろう」
とAlberto氏が質問する、すると田邊氏は

「僕はやはりギターのエッセンスはトーレスだと思うんですよ。トーレスがもし生きていて新作を作ったとしたらきっとこういう音になるだろう、というのをイメージし、追い求めながら製作をしています」

と答える。これはAlberto氏からすると意外な言葉だったでしょう。おそらく彼は田邊氏の来歴とその言葉から(そのアーティスティックな姿勢から)、今こそ完全なオリジナルの音響を具現化せんとしているに違いないと予想し、質問を発したはず。しかしトーレスこそがギターのエッセンスだと言い切るその潔さというか、到達点の純粋さと清冽な精神はやはり人の心を打たずにはおかないものがあると思います。

 

ここから更にトーレスの話になり、その特徴的な製作法のひとつとして、表と裏板の太い力木が先に構造材として横板に組み込まれていることを挙げると、Alberto氏はにわかに驚いた表情になり、

「それは初めて聞く話だ。とても興味深いね!そんな方法で作られたトーレスなど本当にあるのかい?ロマニリョスには話したかい?」

「話していません、僕がこのことを発見したのは彼のマスタークラスに参加した後ですから」

「話さない方がいい、彼にぶん殴られるぞ(笑)」

「確かOrfeo Magazine に掲載されていた製作家でも、同じ工法を踏襲していると思われる方がいたはずです。」
(※この話は確かに非常に興味深く、田邊氏は彼なりの知見でなぜトーレスがそのような工法を採用し、それによってどのような音響的な効果が得られるかなどもある程度まで認識をされておられるようだ。これはまた別に機会に、じっくり彼に聞いてみたいと思う)

 

工房の撮影に移り、床にはその日の午前中の作業でできたばかりの木くずが生々しく残っているのを見て、撮影に集中する厳しい表情ながらもやはりAlberto氏は何だか嬉しそうだ。禰寝氏の工房で話してくれた、撮影前にやたらに工房を整然と綺麗にしておくヨーロッパの製作家とは違って、この作業の場が持つ雰囲気を愛するのだろう。とはいっても田邊氏の工房はただ雑然としているのとは全く違う、かれの美意識が自然に通底した空間になっているのが何とも独特の心地よさを生んでいる。彼は壁にマスキングテープで貼られたモザイクの薄い破片や、工具の配置、横板固定器にも被写体としての興味を示したのかシャッターを切っていく。

 

写真というのは事物を異化する不思議な力があり、というよりその被写体の本質を我々の肉眼が可能な以上に映像として物質化することができるので(もちろんそれは優れた写真家にしか出来ないことなのですが)、この工房の一つ一つのモノたちの佇まいがどのように表象されるのかが本当に楽しみなのですが、それにしてもこの工房で撮影された製作家のポートレート(特集ページの扉となる写真)は田邊雅啓という人の個性と本質とを余すところなく表現し、秀逸なものだと感嘆せざるを得ない。

田邊氏は今回の取材が決まるずっと以前からOrfeo Magazineを購入して熟読しており、筆者同様にその内容の密度とエディトリアルの美しさに賞賛を隠すことがなかった方で、当然ずっと取材を楽しみにしてこられた。想像していた通りというかそれ以上にギターに詳しく、ギターを愛し、そしてその美しさを写真として具現化する名カメラマンにしてエディターのAlberto氏と過ごした時間は、田邊氏にとって本当に貴重で幸福なものだったに違いない。

 

 

「君のギターへの情熱と探求心は素晴らしい。ぜひこれからも良いギター作り続けてくれ。」
取材を終え、工房を辞す時にAlberto氏が心のこもった激励の言葉を送る。

Alberto氏に取材同行した女性(実は彼の奥様でCamino Verdeの編集者)へ、田邊氏は日本の美しい手ぬぐいをプレゼント。日本の文化に少なからず興味を持っているらしいこの素敵な女性に、これは最高に気が利いた贈り物だろう。彼はこういうことが出来る人なのだ、つまり紳士的なスピリットが自然に備わっているのである。最初に戻るが田邊氏を語ろうとするとき、やはりこのことに言及せずにはおれないのである。

 

 

 

高速道路で帰路に就く、途中のサービスエリアでスタバに入り、みなカプチーノを注文する。すっかり同じ空気だ。

 

 

Orfeo Magazine No.15  特集「日本のギター」より田邊氏のページを抜粋でご紹介します。

 

オルフェオ の過去の特集をまとめた合冊号はアウラオンラインショップまたは店頭にて発売中です!

Orfeo Magazine No.1~5 オルフェオ マガジン 合冊号No.1~5
Orfeo Magazine No.6~10 オルフェオマガジン 合冊号No.6~10

 

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