割れ

立方メートル

ギターの故障のひとつに、割れがあります。表板や裏板が割れるのはそれなりの理由があります。
同じ理由で接着はがれも起こります。木材の持つ性質を知れば、未然に防げるかもしれません。
 木材は立ち木の時、地中から水分を吸い上げています。多くの水分は辺材(丸太の木口から見て、外側の年輪)を移動し、生命活動の終わっている心材(年輪の中心辺り)の含水率は、辺材より低い値を示します。
含水率とは、木材が含んでいる水分の量を表す割合で、木材が含んでいる水分の量÷全乾重量×100で表します。
全乾重量(完全に乾いた木材の重さのことですが、自然界ではありえません)と、同じ重さの水分を含んでいる場合、その木材の含水率は100%になります。辺材の含水率は200%を超えることもあります。
しかし広葉樹などは、辺材と心材の含水率の分布も色々あり、ヤチダモなどのように心材の方が多いこともあります。
また伐採の時期によっても、異なります。

 伐採すると、その木が含んでいた水分は減り、乾燥が始まります。乾燥は立ち木のとき移動していた水分から抜け始めます。
この水分を自由水と言い、自由水が抜けきった時の含水率はおおよそ30%になり、この時点を繊維飽和点と言います。
残った水分は、細胞膜などに滲みこんでいる水分で、結合水と言います。この結合水が減り始めると木材が収縮していき硬くなります。
さらに長時間放置し、そのときの大気の湿度と平衝状態に達した時の含水率を平衝含水率と言います。

 収縮が始まるのは、繊維飽和点を過ぎてからですが、木材は、結合水が減ることにより、細胞膜が比例的に収縮します。
しかし、収縮の度合いが木材の方向で大きく異なります。木材の長さ方向にはほとんど収縮しませんが、柾目幅(丸太の木口面の直径の長さ)で2~8%、板目幅(丸太の木口面の外周の長さ)で4~14%収縮します。
これは伐採されてから、含水率が0に至るまでの収縮率ですが、柾目と板目で倍近く違います。
仮に丸太の木口面の直径が7%収縮すると、外周は14%程収縮し、その差は7%になります。7%短くなった分は割れとなりますが、仮に一箇所に集めると、丸いケーキから一人分切り出したような状態で、時計の目盛で4.2分のところになり、かなりの量になります。
丸い物が、丸いまま乾燥しないのは、木材の方向で収縮率が違う事が原因ですが、木材の持つ大きな問題点です。

 木材は丸太のまま乾燥することは稀で、製材してから乾燥します。
これは生材の方が軟らかく、製材が容易と言う事と、丸太を乾燥することによる、干割れを避けるためです。
柾目板に製材された木材の中でも、木口から見て年輪が直角に並んだものを、本柾といいます。
本柾に製材された木材は乾燥による狂いは少ないですが、年輪が斜めのものや、板目板に製材されたものは,反り、ねじれ等の変形を生じます。
これは板目幅の収縮が原因ですが、木口面から見た年輪が一周する長さが収縮するために起こります。
その収縮率は、年輪の色の薄い部分より、色の濃い部分の方が大きく、また内側より外側の方が多く収縮します。
板目板の木口に見える年輪は湾曲していますが、その年輪の色の濃い部分が大きく収縮し、曲がりを直線にしようとする方向に反ります。
この反る力は強く、反ることで引っ張られた面に、細かな割れを生じることもあります。
板の平面を保つように圧力をかけて乾燥する事である程度反りは防げますが、製材するときは、収縮や反りを考慮して目的の寸法より少し大きめに製材します。
また乾燥は空気に触れる外側から始まり、まだ乾いていない内側との間でも収縮の差が出来てしまい、差が大きいと割れにつながります。
木材の表面割れを防ぐ為には、桟積みなどで風通しをよくし、表面に触れている空気の湿度が均一になるようにします。
また、直射日光を避けたり、木口面を紙や、塗装で塞いだりして、急激な湿度の変化が起きないような工夫も必要です。
反対に、十分乾燥されている材料に、急激な湿度を与えると外側が膨張し、内部が割れることもあります。

 木材を乾燥していくと、天然乾燥で含水率12~17%位になります。
そして、そのときの湿度に合わせて、含水率は変化し、木材は伸縮します。
木材は、周りの空気が乾燥すれば放湿、収縮し、周りの空気が湿気れば、吸湿、膨張します。
これはよく知られている木材の特徴ですが、湿度に関し、もうひとつ大きな特徴があります。
例えば、木材を徐々に乾燥させていき、湿度60%で平衝含水率16%になったとします。
さらに湿度を下げていくと、平衝含水率も下がります。そこから今度は加湿し湿度60%に戻しても、平衝含水率は16%にならず、少し下がります。
また、そこから湿度を下げても、加湿しながら上がってきた含水率より少し上がります。
木材は、経験した一番低い含水率より高いところでは、湿度の変化に鈍感になり、含水率の変化は小さく、伸縮も少なくなるということです。
この現象をヒステリシスといいます。
乾燥で含水率を低くするのは、ヒステリシス現象を利用し湿度の変化による、木材の伸縮や、反りや、狂いを少なくするのが目的です。

 人工乾燥は、ヒステリシス現象をより有効にします。
人工乾燥には色々な方法がありますが、一般に広く行われているのは、蒸気による熱気乾燥です。
木材は暖めれば乾燥が進みますが、表面が先に熱くなり、内部が割れやすくなります。
そのため、蒸気で表面の乾燥を押さえながら、木材全体の温度を上げ、それから湿度だけを下げていきます。
他にも、真空にしたり、高周波(電子レンジみたいな物)を利用したり、色々な方法があります。
またアセチル化や、ホルマール化などの、化学処理によって木材そのものの性質を変え、吸湿性を下げる方法もあります。ギター用の木材は、薄く製材されたものが多く、人工乾燥する製作者はあまりいません。
短期間で低含水率にする人工乾燥は、木材に無理がかかり、蛋白質、糖類、樹脂、油などの含有物を、分解、抽出してしまうことになり、材質が変わることを嫌う製作者もいます。
しかし普通ギター用材は、室内で保管され、その場所はある意味、人工的な環境になります。
1階か2階か、日当たりがいいのか悪いのか、どのような建物なのか、その場所の気候どうなのか、暖房はどうしているのか、製作者によって色々です。
でも目的は同じで、木材の割れや狂いを抑えながら、なるべく低い含水率の状態を、経験させることです。
室内にある木材は、含水率8~10%位になりますが、最近の高断熱、高気密の建築では、暖房の仕方によっては、4%位まで下がることがあります。

 室内の湿度は、大気の湿度に影響されますが、日本では、寒い時期に乾燥します。
関東平野では、日本海側から吹きつけた湿った空気が、雪になり、乾いた空気が流れ込みます。
異常乾燥注意報が出された日には、最低湿度は10%台になることもあります。ドアや窓の開閉により、室内の湿度は大気の湿度に近づきます。
もうひとつ、室内の湿度に影響する大きな要素に温度があります。
空気中の水分の量が同じでも、温度が上がると湿度は下がります。例えば、朝の室温が5度で湿度50%とします。
そのときの空気中の水分の量は、3.4g/立方メートルです。寒いので電気ストーブや床暖房などの水蒸気の出ない暖房で、温度を15度に上げたとします。15度の空気が含むことが出来る最大の水分量は12.8g/立方メートルですが、そのときの水分量が3.4g/立方メートルのままとすると、湿度はおおよそ27%になります。
室温を20度まで上げると、湿度は20%を切ります。実際には、台所での煮炊きや、室内の木材や人間の出す水分、ガス暖房などの水蒸気で緩和されます。
しかし、温度を上げるとかなり乾燥し、湿度は半分位まで下がる事もあり注意が必要です。
スペインの内陸はもともと雨が少なく乾燥していますが、マドリッドは夏場の最高気温が40度近くになる日もあり、かなり乾燥します。

 木材を乾燥させると、含水率は下がり、収縮しますが、含水率と収縮率の関係は、ほぼ直線で、含水率1%の低下による収縮率を平均収縮率といいます。
平均収縮率は、軟らかい木材より硬い方が、柾目より板目の方がより大きくなります。
ギターの表板に使う松には色々な種類がありますが、厳密にはモミやトウヒ類を使います。木材は生きもので、育成した条件の違いによって、同じ名称の木でも材質が変化します。
産地や、その木の素性や、切り出した部位によりバラツキが多いのですが、松の柾目方向の平均収縮率を、おおよそ0.1%とします。
また、ギターの指板は黒檀ですが、縞が入ったものや、真黒なものがあり、産地も東南アジアやアフリカなど広範囲にわたります。
産地での俗称や、幾つかの輸入業者を通してきた輸入材は、その名称も曖昧なことがありますが、黒檀の柾目方向の平均収縮率を約0.3%とします。
ここで表板と指板の関係を考えてみます。20度で湿度60%の状態の平衝含水率は約11%になりますが、20度で湿度30%に下げると、平衝含水率は約6%になります。
同じ温度で湿度が30%減ると、含水率は約5%下がります。指板の12~19フレットの部分は表板と接着されています。
その部分の指板幅を60㎜とし、含水率が1%下がると、黒檀の平均収縮率は約0.3%ですから0.18mm動きます。松の平均収縮率は約0.1%ですから0.06mmになり、その差は0.12mmです。含水率が5%下がるとその差は約0.6mmになります。松と黒檀の接着面はひとつですから、お互い引っ張り合いをしているわけです。
伸縮をしているうちに黒檀の力の方が勝り、指板脇の表板が割れます。
また、ギターのボディーの下の最大幅は、松で約2mm、ローズウッドで約3mm収縮します。板目材や、湿度の変化が大きくなれば、収縮はもっと増えます。
しかし低含水率まで乾燥させれば、ヒステリシス現象により、含水率の変化は少なくなり木材の動きも少なくなります。

 このままでは、ギターは1年も経たないうちに割れてしまいます。
割れを防ぐための方法として、大事なことは、木材を十分乾燥させ湿度の影響を少なくし、柾目板などの収縮率の少ない素直な板を使うことです。
また塗装することで、空気の移動を防ぎ、含水率の変化をかなり防げます。
硬い塗膜は伸縮そのものを抑える力もありますが、木材の動きについていけなくなると、塗膜割れ(クラッキング)が起こります。耐熱、対磨耗性の高い硬い塗装は艶もあり、傷もつきにくいですが、板の振動も抑え、音色に大きな影響を与えます。

 指板の伸縮を防ぐのにフレットも重要な役割があります。
フレットの足には凹凸があり、黒檀に食い込むように打ち付けます。
フレットは金属で湿度変化では伸縮しませんから、黒檀の動きを抑えます。
ハイポジションでは間隔も狭くなり、かなり有効です。また、指板を塗装する製作者はあまりいませんが、油やワックスで空気の出入りを抑えることが出来ます。

 表板や裏板は幅方向で伸縮します。例えば、ギターを正面から見て、湿度が増え、表板が幅方向に広がると、ギターの外周は長くなります。
ギターの外周は横板と接着されていますが、横板の長さ方向には殆ど伸縮しません。
横板は、表板や裏板の伸縮を抑える働きもあります。裏板は表板より収縮率が大きく、湿度の変化が大きいと縁飾やセンターに隙間が出来たり、縁巻のエンド部分が離れたりすることもあります。

 表板や裏板の裏側には、力木や補強材が接着されています。ギターを正面から見て、サウンドホールの上には、1~2本の補強材が接着されています。
表板の木目と直角になる方向に接着された補強材は、長さ方向には殆ど伸縮しませんから、表板の幅方向の伸縮を抑えます。2本の補強材の間に、指板より少し大きめの薄い板を、木目が直角になる方向で接着することもあります。
これは接着面が広く、丈夫になり、指板の伸縮をかなり抑えます。しかし、異常に乾燥し指板の収縮の逃げ場がなくなると、指板自体が割れることもあります。
また接着剤が切れてはがれることもあります。
裏板の補強材も同じで、長さ方向では殆ど伸縮しませんから、裏板は伸縮に合わせて、膨らんだり、へこんだりを繰り返しています。

 ギターは湿度の変化でたえず伸縮し、割れや、接着はがれの危険があります。
それを防ぐのは簡単で、製作者は、乾燥させた材料の中から、狂いの少ない気に入った材料を選び、演奏者は、ギターが作られた時の環境を維持すればいいわけです。
しかし、50年程前に作られたギターの殆どに、割れや、接着はがれのトラブルがあります。
日常生活の中で同じ湿度を維持するのは難しいことですし、人は湿度の変化に思いのほか鈍感です。
いつもギターを弾いている部屋の湿度を知るためには、湿度計が必要です。最近はデジタル製も安く手に入ります。
エアコンや、加湿器などで室内の湿度を調整できれば理想ですが、現実的ではありません。
普段はケースの中の湿度を管理したいものです。時々ケースの中の湿度も確認する必要があります。
ケースの中に湿度計を入れて置けば理想的です。
市販の湿度計の中には誤差が大きい物もあり、信用できる湿度計と並べて目盛を振り直しておくとより安心です。

 室内の湿度はギターのサウンドホールから入り、少しずつ含水率を変化させます。
異常な湿度は例外ですが、数時間ぐらいではギターの含水率はあまり変化しません。
しかし1日となると少し心配です。弾かない時にケースに入れておけば、異常に乾燥した状態を回避できます。
また、フレットは指板の動きを抑えますが、乾燥し、黒檀の動きが大きくなると指板から飛び出します。
これをバリが出るといいますが、バリが出たら異常に乾燥していないか確認してください。
出来立てのギターの場合、フレットを打ち込んだ時の湿度より少し乾燥しても出ることがあります。
飛び出したフレットはもとの湿度に戻しても少し残ることがあり、指にあたり痛いときはバリを取ります。
フレットはギターの乾燥具合を知る大事なセンサーになります。
ただし、ギターによってはフレットが引っ込んでいることもあり、バリが出た時には指板脇が割れていることもあるので注意してください。
ギターの必需品として、湿度計をいつも一緒に持ち歩いている日本の若い演奏家がいます。
演奏旅行でホテルに入ると、まず湿度計を出し、乾燥していればバスルームのお湯などを利用し、ギターのための環境を整えるといいます。
ギターを大切にしている気持ちが伝わります。ギターにとって快適な湿度は、おおよそ45~55%位です。
でも、作られた場所はギターによって違いますから、これは大体の目安です。
弾かない時は、ケースに入れておいたほうが安心ですが、ケースの置き場も大事で、湿った押入れに入れたり、日の当たる場所に置いたりしては意味がありません。
ギターや、ケースの中や外の、湿度の状態を想像する心使いが大事だと思います。

 製作者は湿度や温度を気にしながら、木材を管理しています。製作しているときも同じですが、膠の接着のときは、特に温度を気にします。
それは、低い温度では膠がゲル化してしまい、接着力が落ちてしまうからです。
トーレスは晩年アルメリアで製作しています。アルメリアは海に近く、湿った海風と乾いた山風が吹き、ト-レスは湿度管理のため自作の湿度計を使っていたそうです。
それは2枚の表板を使った簡単なものですが、今の板の状態を知るにはとても合理的な方法です。
トーレスは、家族でも仕事部屋に入れず、食事もドアの外に置かせていることもある、秘密主義者と言われていたようです。
しかし、湿度計も自作してしまうト-レスは、湿度や温度に敏感で、人の出入りを嫌った訳ではなく、ドアの開閉で、湿度や温度が変化する事を嫌っていただけのような気がします。


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