手道具

西洋と日本の木工具を比べてみると色々面白い違いがあります。
よく言われるように、鋸(のこぎり)と鉋(かんな)は西洋では押して使います。日本でも江戸時代なかごろまでは、鉋を押して使っていました。
それは突鉋(つきがんな)と言われる大陸から渡ってきた道具で、今でも中国などで使われています。
その先をたどればやはり西洋の文化につながっているように思われます。押して使っていた鉋を引いて使うようになった理由は諸説ありますがはっきりわかっていません。

ギター作りに欠かせない木工具にスクレーパーという西洋独特の便利な道具があります。
それは、15センチ×6センチ位の薄い鋼板で、木材にあてて滑らすと鉋で削ったようなクズが出ます。
パフリングの目違いをはらったり、板厚の微調整などで大活躍します。
もう少し具体的に説明すると、スクレーパーの長辺の部分の角(二個所あります)を直角に研ぎ、刃付け棒で刃を付けます。
一枚のスクレーパーで四つの刃が出来ます。それを軽くしなわせ,押したり、引いたりして使います。
役割としては日本の台鉋に似ていますが、スクレーパーのいいところは二次曲面でも、三次曲面でも自由に削れる事です。
それと切れなくなったら、また刃付け棒で刃が付けられる事です。三~四回は刃が付けられるので、一回研ぐとかなり使えます。ただし表板のような柔らかい木の削りあとは鉋で削ったほどきれいにはなりません。

もうひとつ西洋の木工具で優れているものに木ヤスリがあります。
よく使うものに半丸の鬼目がありますが、三角形で鬼の角のような刃がついたヤスリで、使い方によってはV字の深い溝がつきます。
おもに棹の成形で使いますが、日本人なら小刀や、南京鉋を使うような所をバリバリ削り取ります。
日本では木ヤスリを使う習慣はあまりありませんが、西洋ではよく使われ、家具や木彫などで思いもよらない所をヤスリがけします。そのせいか木ヤスリは西洋の物の方がよく切れます。

日本は木造住宅という個性的な文化を持っていたため、針葉樹を白木のままよく使っていました。
針葉樹を鉋がけして艶を出すのは難しく、職人の腕の見せ所です。しかも白木仕上げですからその差は一目瞭然です。
そのため刃物にもうるさく、自然と切れる道具が発達してきました。
しかしそれも戦後の高度成長と反比例して急激に姿を消して行きました。鉋の基本は一枚刃ですが、いま一枚刃の鉋を使いこなせる職人はあまりいません。
いつの間にか二枚刃が主流になってしまいました。大工さんでさえあまり鉋を使わないのが現状ですから仕方がない事かもしれません。
鋸はもうほぼ全滅と言っていいかもしれません。
今鋸と言えば替え刃式の事で『鋸の目立てって何』と言う職人がそろそろ出てきたそうです。当然刃物を作る鍛冶屋も激減してしまいました。

長く続いた手道具(刃物)の歴史は昭和に入って頂点に達します。
それは良質な鋼が輸入され始めた事や、廃刀令以後日本刀の鍛冶屋が道具鍛冶になり、腕のいい専門職が増えてきた事などによります。
また科学の発達により、カンやコツと言われていたものが解明され組織検査も出来るようになりました。
そのあたりまでは、鍛冶と科学はいい関係にあったのですが、その後の近代化の勢いはあまりにも急激でした。
それは量産化、均一化する事で進み、たとえば炭素鋼は刃物の鋼としては最高の物ですが、火造りや焼入れが難しく温度をうまくコントロールしないと組織が壊れてしまいます。
そこでタングステン、クロームなどを少し入れた特殊鋼が出てきます。これは少々温度を間違えても壊れたりせず、なかには焼入れしなくていいものまであります。
しかし耐熱性はあるものの、硬さに対して粘りが少ないため、いくら丁寧に研いても鋭い刃がつきません。
たしかに平均点は上がり、製品のばらつきは減ったものの、平均点以上のものは決して出来ません。
ノミも鋸も同じように近代化の波に巻き込まれていきました。そして気がついてみると、近代化は手道具を電気道具に変えてしまったのです。
今天然砥石は採掘されていません。
それは需要がなく採算が取れないからで、欲しい人が増えればまた採掘する事は可能です。
しかし炭素鋼のいい刃物が欲しいと思っても、今となってはもう手遅れかもしれません。
自分は近代化された便利な生活にどっぷりつかっていながら、でも、やっぱり、今の手道具の現状は寂しい限りです。
ニカワやセラックは大丈夫だろうか?心配です。


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