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セラック タンポ塗り

現在ギターに使われている塗料には、ポリウレタン、ラッカー、セラック等があります。
なかでもセラック(天然樹脂)は昔から使用されている伝統的な塗料で、名器といわれるギターの多くはセラックタンポ塗りで塗装されています。

塗膜自体の性能としてはポリウレタンが一番硬く、耐水、耐摩耗性もすぐれています。 セラックは耐水、耐熱性が低く、扱いが悪いと白化したり、光沢が失われてしまいます。またキズもつきやすく、かなりデリケートな塗料といえます。それでもギターの音にとっては極めて相性が良いので、今日まで使われ続けています。

 よく木は呼吸していると言われます。それは湿度の変化によって、水分の排出、吸収を繰り返しているからです。
それに伴って木自体も伸縮します。伸縮の度合いは木目の方向によって異なりますが、ギターの松の表板の場合、柾目の幅方向で1~2ミリ位と考えられます。
板目や硬木(裏、横板)ではその倍ぐらいですが、木材の長さ方向には殆ど伸縮しません。
乾燥が不十分な木材を使用した場合はもっと動きます。ギターはその歪みを、ふくらんだり、へこんだりしながら、何とか割れずに耐えています。塗装は湿度の急激な変化を防ぐためにも必要なのです。

しかし硬い合成樹脂塗料の塗膜は、時間の経過によって酸化重合が進み、柔軟性を保っている可塑剤が消耗すると、板の動きについていけずクラッキング(ひび割れ)が出てきます。
ポリウレタン、ラッカーにクラッキングが出やすいのはこれが原因です。特に厚塗りすると顕著に現れます。たとえセラックでも厚塗りは好ましくありません。

セラックの塗装方法にはハケ、スプレー、タンポの3種類があります。
タンポとは、かなきん(木綿布)で綿を包みテルテル坊主のような形にしたものです。
そのタンポにアルコールで溶かしたセラックを染み込ませギターに直接すり込みます。タンポは止めずに一筆書きのように動かします。
止めたり、同じ所をこすりすぎると下の塗膜を剥がしてしまいます。
塗膜はきわめて薄く、ひとハケで得られる塗膜の厚みはタンポでは数十回通さなければなりません。
タンポ仕上げの良否は、タンポを押さえる力の入れ方と移動の速度との調整によって決まります。
ハンドワークの技術として熟練を必要とし、また仕上げまでかなりの日数を要します。

 セラックタンポ塗りは、薄い塗膜を塗り重ねながら塗面の凹凸を少なくしていく作業を続ける事です。
それは光沢を失ったり、細かなキズがついた塗膜も塗り重ねによってもとの状態に戻せると言う事です。
本来楽器は修理しながら使っていくもので、特にバイオリン、ギター等、木製で直接触れるものは修理が欠かせません。
塗り重ねが可能なセラックは修理をするにも理想的な塗料なのです。

 トーレス、サントス、アグアドなどのセラックタンポ塗りの技術は今も引き継がれています。
その多くはスペインの製作者でマリン、ロペス、ロマニリョスなどです。彼らは合成樹脂塗料を使おうとしません。
たとえ効率が悪くとも、時間をかけたセラックタンポ塗りがギターの音色にとって最適だからです。
スペインの伝統的なギターは、これからも昔ながらのセラックタンポ塗りで作り続けられる事でしょう。

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